悩みに贅沢もちっぽけもない

「そんなの贅沢な悩みだよ」と言われたり、

「こんなことちっぽけな悩みだよね」と思ったり

したことはありませんか?

何と比べているのでしょうか。

世界中の誰かの悩みと比べているんですよね。

世界中を探せば自分よりもっと苦しんでいる人がいる。

生きるか死ぬかで戦っている人だっている。

それに比べれば、今の自分の悩みなんて大したことはない。

そう思ってその悩みを振り切る。

・・・でも、結局その悩みは消化されずもやもやしたまま。

そもそも悩みや苦しみは人と比べるものではない、

今、私はそう思っています。

そう思えるようになってからは、ある意味楽になり、

シンプルに悩みと向き合えるようになりました。

なぜそう思えるようになったのか。

実は大人になって実家を離れ、母とは時々会うくらいになって、

私はあることに気づきました。

それはいつも母が話題にすることは、母が身近に聞いたりテレビで知った

大変な状況に置かれている人の話だという事です。

「そんな苦労している人もいるんだねぇ。大変だよねぇ。」

そう母は話します。本当に、世の中には自分も知らない困難な状況の人たちが

常にたくさんいるものです。

母と会った日はなんとなく後ろめたいような、世間様に申し訳ございませんと

頭を下げたくなるような気分が残りました。

この感覚は一体何なんだろう・・・。

よくよく考えてみると、

私は母に甘えてちょっと愚痴とか悩みとか話そうかなぁなんて思いながら

会いに行くわけだけれど、そんな話を聞かされると、なんとなく、

そんなことで悩んでいる場合じゃなかったな、と反省して帰ってくる感じ。

思えば、私はずっと母からそんな話を聞かされて育ちました。

そういう話を聞くと、もう何も言えません。その人達の事を思うと、

本当に胸が締めつけられるような、苦しい気持ち・・・

と、ともに・・・

それに比べて自分がいかに恵まれていて贅沢な状況にあるのか、

悩んだり欲を出す自分が情けなく小さく思えてしまいました。

そうして、私の悩みはすべて蓋をされてしまった。

実際母になにか悩みを打ち明けても、もちろん話は聞いてくれるけれど、

最終的にはたいていいつも、

「世界中にはもっと困難な状況の人もいるんだから、それを思えば

なんだって大したことないよね、恵まれているし贅沢なことだよね」

で終わりました。

確かにその通りなんです。

でもね・・・

そしたら、私の悩みなんて永遠にそのレベルを越す事なんてない、

じゃあいったい、いつ私の悩みは存在を許されるんだ?

そう気づいたのです。

世界の困難を引き合いに出されたら、誰も愚痴や悩みは言えなくなるのです。

そして結局何も消化できないまま。

本当は、もっと私の世界の中で、私にフォーカスして、

ただただ私の悩みを認めてほしかったと、今になって思います。

気づかないうちに常に自分の悩みなんてちっぽけなものだ、

贅沢な悩みだと考えるクセがついていました。

何を悩んでも、私の隣にはもっと苦しんでいる誰かがいて、

そんなことで悩むことを許してくれなかった。

だから、

もし今同じように思っている人がいたら伝えたい。

どんな悩みも苦しみも大したことないなんて思わなくいいよ。

あなたの世界であなたが苦しければそれが真実なのだから。

大きいも小さいも、深いも浅いもない。

贅沢な悩みだとか、ちっぽけな話なんてこの世にはひとつも

ないんだよ。

私はそう思っています。

ちなみに、私の母は大人になるまでものすごく苦労した人です。

母は母でそうやって自分よりもっと大変な人を知ることで、

きっと自分で自分を奮い立たせてきたんじゃないかなぁ、

と思っています。そうじゃないと生きてこれないほどの

子供時代を過ごしたたくましい母です。

だから母に罪はありません。

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